3日後に書くブログ

映画を観た約3日後に感想を書きます。あとは好きな俳優への愛の吐露

ブログを始めることと、『レヴェナント:蘇りし者』を観て3日後に思うこと

観た映画の感想を主な内容として、ブログを始めることにしました。

なぜ急にこのようなことを思い立ったかというと、ツイッターでてきとうに吐いてるだけでは後で読み返すのに困難であることと、日本語力がさらに乏しくなってしまうことが気がかりであるからです。ここまで書いて既に日本語に自信がない。また、「3日後に書く」というのは、映画を観てすぐにツイッターに書き散らかしたものを、頭が落ち着いてから、後で読み返したときに内容把握できる程度には整理してみようという思いから名付けたものです。

 今日は『レヴェナント:蘇りし者』(原題:The Revenant)の感想を書きます。鑑賞日は2016年5月1日(日)、鑑賞劇場はTOHOシネマズ二条スクリーン3です(初回から鑑賞3日後に書いていないのですが、こうしたことをわたしはあまり気にしないタイプです)。

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以下映画の内容に触れるため、ネタバレしています。ご注意ください。 

 

わたしがイニャリトゥ監督の映画を観るのは今回がはじめてだったのですが、まずその映像の美しさに感激しました。雪解け水が降ってくる木を見上げるのとか、一つの生命が終わるのを見下ろすのとか、アングルと光のおかげか、自然な出来事を見ているはずなのにすごく幻想的で、これは何時間でも見ていられるなあと思いました。

といいつつも、レオナルド・ディカプリオ演じるグラスの復讐への道中があまりにも波乱に溢れているので、これ以上長くては耐えられないと思います。レオさま撮影よくがんばったねえ……。ここまでやってオスカー取れなかったらけっこう本気で死にたくなるよなあ、と、とんでもなく水温の低いであろう川に流されていく姿を見ながら思いました。そういう意味で、この映画の長さはこれで十分だったといえると思います。ほかにも、グラスが熊に頭を踏まれているところとか、馬をさばいて内臓を取り出してその中に入って眠るところとか、想像をはるかに超えるサバイバルだったので、「ほっほっほ〜……」とよくわからない笑いが漏れてしまいました。

 そして、この映画を観たわたしの一番の感想は、トム・ハーディ演じるフィッツジェラルドに肩入れしてしまったということです。彼はグラスの息子を殺した張本人であり、ゲス野郎であることにまちがいないのですが、理解できない恐ろしいモンスターではなかったんですね。むしろ普通の、すごく普通の、欲にまみれた人間でした。

フィッツジェラルドの考え方は、サバイバルな状況下にある人間が普通に考えることのひとつであったように思います。みんなは思っていても言わなかったり「いい人」であろうとするから隠している感情を、彼はそのまま口にしていたんだと思う。早く森の中での過酷な生活から抜け出してテキサスで平和に暮らしたい。そのためにお金が欲しい。同僚に対してだって全く非情だったわけではない。サバイバルにおいては綺麗言だけで生きていけないことを知っている。

だからこそ、そういうフィッツジェラルドを、ある意味「自分の手を汚したくなかった」ヘンリー隊長が追いかけていくのを見て胸が苦しくなったりしました…。 こちらのブログ

fragile.mdma.boo.jp

で、終盤フィッツジェラルドが隊長の頭の皮を剥いだのは「観客がフィッツジェラルドに感情移入しないよう、彼が野蛮な人物であることを、ことさらに強調するためだったのではないか」という記述を読み、なるほどなあとは思ったのですが。それでもフィッツを憎めないのは、わたしも欲の尽きない人間だからかもしれません。

ここまで彼に感情移入した理由のひとつは、間違いなくトム・ハーディの演技でしょうね。トムハちゃん、すきです。彼、筋肉あるしタトゥー入ってるし一見強面なのに、全身ガラス細工ですってくらい繊細な空気をまとっているのを感じます。不思議です。すき。それからヘンリー隊長役にあのドナール・グリーソンくんをキャスティングした人すごいですね、天才だと思うな。

そんな、あくまで未来を見つめる人間だったフィッツに対して、グラスのほうはもうほとんど野生化している。森を這い、向かいたい未来があるわけでもなく、死ぬこともできずに生きている。そういう対比もすごくおもしろいなあと思いました。息子の復讐を果たしたあと、彼に残ったものはなんだったかな。最後に彼が見つめていたものはなんだっただろうか。そんなことを考えさせられました。