3日後に書くブログ

映画を観た約3日後に感想を書きます。あとは好きな俳優への愛の吐露

『ラースと、その彼女』を観て3日後に思うこと

ラースと、その彼女』(原題:Lars  and the Real Girl)を観ました。2016年5月6日(金)、自宅にてDVDで鑑賞です。

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このDVDを選んだきっかけは、大学の一般教養の授業で冒頭を10分ほど観たことです。その日の授業のテーマは「ジェンダーと映画」で、恋愛に臆病な現代の男性を描いた映画の例のひとつとして紹介されました。限られた授業時間では、ラースが彼女を連れてお兄さんの家にディナーに来るシーン(これからおもしろくなっていくところ!)までしか見られなかったので、レンタルビデオ店で借りてきました。

以下映画の内容に触れるため、ネタバレしています。ご注意ください。

 

まず鑑賞後いちばんに抱いた感想は、なんとかわいい映画なんだろう!ということです。ラースとってもかわいい。彼のガールフレンド:ラブドールビアンカちゃんに向ける視線の柔らかさ、彼女のための無邪気な歌声、職場の同僚:マーゴちゃんのテディベアへの人工呼吸、地域のおばさまたちにかわいがられる姿、病院の先生とのふれあい。どれもこれもあたたかくてやさしくて、一生懸命な彼の姿にときめいてしまいました。

こうして、映画を観ていたわたし自身がラースくんに恋をした(!)ので、どこか奇妙に見えるかもしれない町のみんなのビアンカを受け入れようとする姿勢も、すとんと納得がいきました(登場人物の魅力に気付けないとストーリーについていくのがしんどくなることもありますから)。みんながラースを愛しているから、彼が愛するビアンカを受け入れようとする。町のみんながラースを大切に思っているから、ラースのためにラブドールビアンカを一人の女性として扱うのです。

しかしそうした周囲の人の愛情に気付けないラースにお義姉さんが感情をぶつけるシーンは、ラースの心を溶かし彼が大人に近づく重要なシーンのひとつであったと思います。あのシーンは、まるでお母さんの大きなハグのようでした。優しさと厳しさの両方が込められたあたたかい(言葉の)ハグは、それまでの腫れ物に触れるような態度よりもよっぽどラースに響いたのだろうと思います。

ところで、観ている最中も「ラースはいつかビアンカを処分するだろう」と考えてはいたのですが、まさかビアンカが死ぬとは予想していませんでした。ビアンカを裏切れないラースが彼女から離れるためにはこの方法しかなかったのかもしれませんし、もっと他の理由があるのかもしれません。

両親を亡くしているラースが、死をどのように捉えていたのかははっきりとはわかりません。もしかしたら、神が定めた避けられぬ人間の運命だと考えているかな(キリスト教徒のイメージ。わたしにはキリスト教の思想に関する知識はほとんどありません。誤っていたらすみません)。もしそうであるならば、その「神が定めた運命」を自分とビアンカが離れるきっかけとして無意識に選んだ、彼女から離れるために外部からの要因を自分の中に生み出したということを、すごく興味深く感じます。自分から状況を打破するんだけれど、自分ではない外部にきっかけを求めていたってかんじがする。ビアンカを裏切れないと思っていた自分をどうにかして彼女から卒業させるための、彼の無意識の選択だったのだろうと思います。

 

ところでこれは余談ですが、DVDの特典映像に入っている「女優ビアンカに関する共演者の証言」がけっこうおもしろいです。人形の役作りについて大人たちが真剣に語っている姿にはくすくすきちゃいます。メイキングでは、ラース役のライアン・ゴズリングビアンカを連れて母親のもとを訪れたという話もすこしありました。