5月に観たその他の映画まとめ『トランスアメリカ』『スポットライト 世紀のスクープ』『地球に落ちて来た男』
5月に観た映画はあと7本ありますが、すべての感想を書くのはとても時間がかかりそうなので、『トランスアメリカ』『スポットライト 世紀のスクープ』『地球に落ちて来た男』の3本の感想を書きます。他に観た4本は『コードネームU.N.C.L.E』『エデンの東』『アルファヴィル』『スリーパー』です。
以下映画の内容に触れるためネタバレしています。ご注意ください。
『トランスアメリカ』(原題:Transamerica)2016年5月12日(木)自宅にてDVDで鑑賞です。
女性になるための性別適合手術を控える男性ブリ―(フェリシティ・ハフマン)が、学生時代の恋人が知らない間に産んでいた息子トビー(ケヴィン・ゼガーズ)と共に、ニューヨークからロサンゼルスへと向かう(トランスアメリカ)ロードムービーです。道中にはくすりと笑える場面もありますが、全体を通して落ち着いた雰囲気で、主人公の内気な性格とこれまでの様々な障壁を伺わせます。
まずやっぱり考えてしまうのは、彼女に対する家族の態度について、です。特に母親の、ブリ―の真の姿から目をそらし続ける態度には腹が立ったし、それをどうしようもないこととあきらめたようなブリ―の表情は見ていてつらかったです。これまでの人生で彼女はずっと周囲のこうした態度に耐えてきたのであろうと思うと、とても悲しかった。
でも、わたしがこんなことを言えるのはきっと、「当事者じゃないから」なんですよね。母親もできることなら自分の息子を受け入れ、愛してあげたかっただろうに、それができなかった。孫をとことん甘やかすブリ―の母親の姿を見て、自分の息子に与えたくても与えられなかった愛情を捧げているのかもしれない、と思いました。(余談ですが、ブリ―の母親を見ながら、漫画『きのう何食べた?』の筧さんのお母さんの、息子がゲイであると知った際に新興宗教にハマってしまった、というエピソードを思い出しました。)
それから、自分の息子にプロポーズされたブリ―の気持ちを想像すると、なんだかドキッとしてしまいます。そのときはまだ、トビーはブリ―が自分の父親であることを知らないわけだけど、息子の恋心を踏みにじってしまうのは親として申し訳ない気持ちだろうし。それに、息子じゃない男性にプロポーズされたならば、ブリ―もきっとひとりの女性として喜ぶことができたかもしれない。彼女は手術を受けて物理的に女性になることを重視していましたが、本来であればこうした瞬間、恋愛をしているときなどに、自分が女性に生まれ変わったことを実感し喜ぶことができたのではないか、と思ったりもしました(もっともブリ―の恋愛嗜好については劇中で詳しく触れられていませんが)。あ、あと普通に息子のトラウマになりそうな感じはあります。最後なんとかいい感じにおさまってよかった。
息子トビー役のケヴィン・ゼガーズがとてもかわいかったです。こういう、ある俳優さんの若い一刻の儚い美しさを保存した映画ってだいすき!
『スポットライト 世紀のスクープ』(原題:Spotlight)2016年5月13日(金)シネ・リーブル神戸劇場①にて鑑賞しました。
遅ればせながら、やっと観に行けたのでよかったです!一番の感想は「なんだかかっこいい映画だったなあ!」ということ。ご存知の通り、カトリック教会のスキャンダルを追った新聞記者の映画なので、映画のメインはスキャンダルの内容ではなく、情熱を持った記者たちの仕事模様です。ジャーナリズムの信念とプライドを感じられるような良い映画でした。わたし、仕事人ムービーってすごく好きなジャンルなのかもしれない(アイヒマン・ショーもそうだったし!)。
実際に性的虐待を受けているシーンはありませんし、スキャンダルについてどうこういうのは映画の感想から離れてしまう感じがしますが、ひとつだけ。記者が老年の神父の元を訪ねた際に、彼はまるで小学生のような振る舞いをして、それを神父の姉がとがめて家の中に戻るように指示する場面がとても印象的でした。加害者張本人たちは、自分たちの行為を ちょっとした、まさに「いたずら」程度にしか考えていない。それどころかあんなになにもできない赤ん坊のようだなんて!
被害者の証言に何度も「神父に目をかけてもらえることを、神に目をかけてもらうのと同じように感じていた」という言葉がありますが、彼らが慕っていた人物の実際の姿を見せられると、より悲痛な気持ちになりました。
『地球に落ちて来た男』(原題:The Man Who Fell To Earth)2016年5月20日(金)同志社大学寒梅館ハーディーホールにて爆音上映で鑑賞です。
デヴィッド・ボウイ美しすぎて嫉妬してしまいます。生まれ変わったら来世は絶対あれになるんだから…。
ストーリーは不可解なところもありましたが、彼が宇宙からやってきたせいだと思うと、すべてに目をつぶってオールオッケーです。そのぐらい、デヴィッドボウイが宇宙人であるという設定に絶大な説得力がありました。なんせあの美貌ですから。スクリーンに登場し水をゆっくりと味わいながら飲む姿は あんまりにも美しくって、この水の惑星においてはどこか異端な雰囲気、不思議な存在感が漂っています。
でもやっぱり、真の宇宙人姿で現れた時にはびっくりして、彼女といっしょに「ひっ!」と息を飲んでしまいました。ピンセット目に突っ込むのこわいよう…。その1秒後には、彼女がお漏らしをする姿に「そこをアップにするのか!」と突っ込まずにはいられませんでしたけど。
上映前には爆音映画祭を主催されているboidの方の挨拶があったのですが、その中に「もしデヴィッド・ボウイが落ちて来たのは別の惑星で、元々住んでいたのが地球だったら?」というお話がありました。わたしたちが暮らすこの地球もいつか枯渇してしまうのだろうか。それでもどこか遠い惑星から、美しい男がここを愛おしんでくれるのだろうか。そんなことを考えると、なんだか不思議な気持ちになります。
それにしても、ほんとにあんな、かぎりなく人間に近くてとんでもなく美しい宇宙人が落ちて来たら、いったいどうするのだろうか。やっぱり恋に落ちてしまうしかないかもしれないなあ。
(映画「地球に落ちてきた男」について)あの映画の印象に残る思い出といえば、演技をしなくて良かったところだ。自分のままでいれば良かったから、役との相性がバッチリだった。あの頃僕は地球に居なかったようなものだし。 pic.twitter.com/NM0Q3aNCRT
— デヴィッド・ボウイ 名言集 (@DavidBowieBot) January 21, 2016